相続と短歌(前編)
今回は短歌について相続との関連を考えたいと思います。短歌が空前の大ブームでテレビでも取り上げられていた2023年、弁護士で歌人の竹内亮さんとYouTubeで共演させていただきました。竹内さんは相続専門弁護士の傍ら、歌集「タルト・タタンと炭酸水」を出版されたり、24年には現代短歌評論賞も受賞され、歌人としても大活躍です。YouTubeでは竹内さんとたくさんの短歌を取り上げたのですが、ここでは私がその中で最も「相続・事業承継」的と感じていて大好きな式子内親王(1149年~ 1201年)の下記の歌を取り上げたいと思います。
「ながめつる今日はむかしになりぬとも軒端の梅はわれを忘るな」
この歌の訳は次のようになります。「物思いをしながらじっと眺めている今日の日が、昔のことになってしまっても、軒端の梅よ、わたしのことを忘れないでおくれ」(『コレクション日本歌人選010式子内親王』(平井啓子著、笠間書院、2011年))
歌われたのは亡くなる直前であり、実際に中世の頃に書かれた古い注でも「死後のことを思いやっている」と書かれていて、まさに辞世の句とも呼ばれています。
いかがでしょう? この世の未練をありのままにストレートに歌っているという印象ではないでしょうか? これはまさに事業承継局面でのオーナーの寂しいお気持ちに似ているように感じませんか?
以前取り上げた「リア王」や「犬神家の一族」もそうですが、オーナーは引継ぎ先がたとえどんなに仲の良い親族であったとしても、想像以上に寂しさを感じるものと思われます。この歌を詠んだ式子内親王は後白河法皇の皇女でとても身分が高いのですが、生涯独身で孤独を感じつつ53歳で亡くなったと言われています。承継先として家族がいても寂しさを感じるのに、家族がいない式子内親王の心情は想像に難くないと思います。梅であれば何百年も生きるかもしれない、それであれば自分の気持ちを梅に少しでも乗り移らせて後世に残したいと思ったのかもしれません。
事業承継のお手伝いをしている際、遺言以上に自分史や社史を熱心に書かれる先代のオーナーさんがいらっしゃいます。最近だと動画を撮影される方もいらっしゃいます。これもやはり式子内親王と同様に何か形に残して魂を吹き込み、忘れないでほしいという切なる願いなのだと思います。かくいう私もこのように「元気だね通信」で原稿を書かせてもらっているのは同じ気持ちがあるのかもしれません。
「軒端の『元気だね』われを忘るな」
YouTubeチャンネル「相続と文学」では今回の論点をより詳細に解説しています。今後もこのような相続を中心テーマとして描いている文学作品について、取り上げていきたいと思いますので、ご感想やご意見をYouTube等でコメントとして頂けると幸いです。