コラム

横溝正史「犬神家の一族」と相続(前編)

人気推理小説として過去に何度も映画化・ドラマ化されている横溝正史『犬神家の一族』。2023年のNHKドラマ版は原作とは少し異なる演出が大いに話題となりました。


この小説で描かれているのは遺言と相続のもめごとから発展した殺人事件です。(以降、ネタバレが入ります。まだ御覧になっていなくて犯人捜しを楽しまれたい方はこれ以上は読むのをぜひ控えてください!)


私はこれを読んだとき、一つの疑問が浮かびました。なぜ犯人は殺人を犯してまで相続にこだわったのか?


さて、なぜシェイクスピアはこうした非嫡出子のエピソードを『リア王』に取り入れたのでしょうか? 関心を引きやすい人間の平等性について、ただ訴えたかっただけでしょうか? 確かにそれがゼロではないでしょう。しかし、あくまで私見ですが、それ以上にこの『リア王』をより相続のテーマを中心に据えた相続の文学にしたかったからだと思われます。


「なんだ、そんなのは簡単だ。お金や財産がほしかったに決まっている。」確かにそういう意見もあるでしょう。しかし、ご存じの通り、殺人を犯した事実が分かってしまえば相続はできません。普通、そのリスクを負ってまで相続財産の取得を狙うでしょうか?


そこにはよっぽどの恨み感情があったのだろう。確かにそれはあります。では、なぜそんなにも強い感情が沸いてしまうのでしょうか?


理由その1。それは家族構成です。ネタバレですが、犯人は遺言を書いた被相続人である犬神佐兵衛の長女松子です。下記の家系図でもお分かりの通り、5人の異なる愛人から子供が生まれています。複雑過ぎますよね。さらに大事なのが、松子には配偶者が既にいないということです。配偶者がいないと相続において孤独を感じるケースが多くなり、そういうシーンも実際に小説でも描かれています。前回取り上げた「リア王」もすでに奥様がいませんでした。全部が全部ではないですが、やはり、配偶者の存在は相続において心強いものです。負の感情が沸いても会話することで抑えられることも多いと思われるからです。また、長女という立場も家に対するプライドや気概を持つシチュエーションが比較的多いため、感情的になりやすくなるのかもしれません。


理由その2。犬神佐兵衛のコミュニケーション不足です。佐兵衛は本当に愛した野々宮晴世の孫娘珠世に財産をあげたかったわけです。しかし、犬神家の本流ではなく、いわゆる非嫡出子。確実に財産を多くあげるために遺言を書いたのですが、肝心のその理由を遺言には書いていません。本当は衝撃の事実があり、それを知れば、松子は納得したかもしれません。知らないからこそ疑心暗鬼になり、松子は驚愕の計画を思いついてしまったわけです。


【相続と『犬神家の一族』前編】なぜ犯人の〇〇は殺人してまで相続にこだわったのか?