コラム
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今回はJuliaを取り上げたいと思います。The Beatles後期の名曲として知られるこの曲は、ジョン・レノンが亡き母ジュリアへの思いを歌った作品です。
音楽ですが、私はビートルズを文学だと思っています。実際、ボブ・ディランもノーベル文学賞を受賞しましたし、言葉によって人間を表現するという意味では、歌詞もまた文学だからです。

この「ジュリア」は非常に美しい曲ですが、歌詞は一見すると意味が分かりません。たとえば、「海の子」「貝殻の瞳」「風の微笑み」「眠れる砂」「静かな雲」……。
象徴的な言葉が次々と並ぶが、その意味は最後まで明確には語られない。私は大学院時代にフランス文学を研究していましたが、どこか19世紀の詩人ボードレールやマラルメなどの象徴詩を思い出しました。
実際、「Ocean child」はオノ・ヨーコを意味すると言われていますし、「貝殻の瞳」「風の微笑み」は、ジョンが好きだった『不思議の国のアリス』の作者ルイス・キャロルの表現から引用されたとも言われています。
さらに冒頭の「僕の言うことの半分は無意味だけれど」という一節も、詩人ハルール・ジブランの引用です。
つまりこの曲は、引用や象徴に満ちた“文学的な歌詞”と言えます。
しかし、果たしてそれで片付けられるのでしょうか? 私としては、相続の視点から見ると、別の理由もあるのではないかと思っています。
この謎を解く鍵は、歌詞の中の次の部分です。
「胸の内を歌に託せない時は
頭の中の考えを言葉に託そう」
普通は逆です。言葉で説明できないから歌う、理性では表せないから感情をぶつける。しかしジョン・レノンは「感情を歌えない」と言うのです。なぜか。
それは、母を失った悲しみが深すぎて、感情そのものが壊れてしまったからではないでしょうか。
ジョン・レノンは5歳の時に母と離れ、17歳で交通事故によって再び母を失います。母との断絶と再会、そして突然の死。この体験は、彼の中に深い孤独を残しました。
相続の現場でも、特に母親を亡くした男性が、妙に理性的でありながら、どこか意味の掴めない言葉しか話せなくなる場面があります。本当は悲しい。しかし悲しみが深すぎて、感情そのものが言葉へと変わらないのです。
だからジョンは、「海の子」「風の微笑み」といった象徴的な言葉でしか母を語れなかったのかもしれません。感情を直接言葉にできず、象徴という遠回りな表現へ逃げ込んでいる。ジョンは“説明”ではなく“象徴”で母を語ろうとしたのではないでしょうか。
相続でも似たことがあります。本心とは違う言葉が出てしまう。財産が欲しいわけではないのに「欲しい」と言ってしまう。本当は寂しいのに、妙に事務的に振る舞ってしまう。
だから相続では、言葉をそのまま受け取ってはいけないことがあります。その言葉の背後にある感情を見る必要があるのです。
「ジュリア」の最後では、言葉すら消え、ジョンはハミングだけになります。象徴的な言葉さえ出なくなる。それほど深い孤独の中にいたのでしょう。
問題の悲哀の謎の答えとしては、「母を失った時、人は完全な孤独の中で、感情をうまく言葉にできなくなるから」なのかもしれません。
YouTubeチャンネル「相続と文学」では、本稿で触れきれなかった相続的な深読みも解説しています。ご興味のある方はぜひご覧ください。