コラム

第13回相続と東京物語(その2) 「私はずるいんです」と言った紀子の本心

カテゴリ 相続と文学
公開日 2026年04月06日
最終更新日 2026年04月06日

 

 

前回は、『東京物語』に登場する長女・志げ(杉村春子さん)を取り上げ、「冷たい人物」とされがちな彼女を相続の視点から読み直しました。今回はその対照的な人物、次男の妻・紀子(原節子さん)について考えてみます。

 

「私はずるいんです。」

紀子は映画の中で、義理の両親に最も優しく接する人物として描かれています。実の子どもたちが忙しさの中で距離を置くなか、嫁である紀子だけが丁寧に接する。多くの観客が「本当にいい人だ」と感じる人物です。

しかし、物語の終盤、妻に先立たれた義父に彼女はこう告白します。
「私はずるいんです。」

この言葉は映画史に残る名台詞として知られています。私自身も長い間、「なんて正直で誠実な人だろう」と思ってきました。しかし、相続の仕事を続けるうちに、この言葉の意味は少し違って見えるようになりました。

 

相続の視点から見た「いい人」の計算

相続の観点から見ると、紀子には三つの特徴があります。夫を戦争で亡くした未亡人であること、子どもがいないこと、そして勤め人であることです。彼女は家族の中で同情されやすく、同時にどこか不安定な立場にも置かれていました。

物語の終盤、義父は紀子に「本当にあなたはいい人。世話になった」と言い、亡き妻の形見である高価な懐中時計を渡します。紀子は遠慮しながらもそれを受け取り、東京へ戻る列車の中でその時計を開きます。

しかし、相続の視点で見ると、そこにはもう少し複雑な感情が浮かんでいるようにも見えます。
自分は亡き義母にお小遣いを少し渡しただけなのに、結果として大切な形見を受け取ってしまった。「えびで鯛を釣ってしまった」ような気持ちだったのかもしれません。あるいは心のどこかで「作戦大成功だ」という思いが、ほんの一瞬よぎった可能性もあります。汽車のシーンでは、悲しみの中に、にやっと笑っているようにも感じられなくはありません。

 

おわりに:家族の中に潜む複雑な人間像

もちろん、それは単純な打算ではないでしょう。人は誰でも、優しさと計算、誠実さとしたたかさを同時に抱えています。
紀子の「私はずるいんです」という言葉は、その両方を自覚した正直な告白だったのかもしれません。

相続の現場でも似た場面は珍しくありません。誰かが「いい人」の役割を引き受ける。しかし、その人にも財産への思いや計算がないわけではない。
そうしたしたたかさや作戦が働くこと自体は決していやらしいことではなく、家族関係を壊さないための現実的な知恵として静かに使われることもあります。

前回の志げは「冷たい人」に見えながら実は家族をまとめようとする人物でした。そして紀子は「いい人」に見えながら、人間らしい計算や弱さも抱えています。
人は善人でも悪人でもなく、その両方を抱えて家族の中で生きています。相続とは、そうした人間の複雑さが最も表れる場面の一つなのかもしれません。

なお、この作品の相続的な読み解きについては、YouTubeチャンネル「相続と文学」でも解説しています。