コラム
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今回は、前回に引き続き「竹取物語」に表れる相続的テーマを考えたいと思います。YouTubeチャンネル登録者数100万人を突破した芸能文化税理士法人会長で公認会計士・税理士の山田真哉さんと2023年、お互いのYouTubeチャンネルで共演させていただきました。今回も「『相続と文学』の対談に当たって先生のおすすめ文学作品は?」という質問に「『竹取物語』はどうですか?」と仰っていただき、「面白いかも!?」となり取り上げました。5つほど相続的なポイントがあるので、このコラムでも1つずつご紹介したいと思います。
今回はその2。「娘の結婚」です。かぐや姫は、竹取の翁の実の娘ではないものの、天から授かり大切に育てた実の娘に限りなく近い女性です。類まれな美貌と素晴らしい才能に恵まれ、著名で裕福な貴族たちがこぞって求婚してきます。だからこそ娘を嫁がせることが翁夫婦は非常に惜しくなります。夫婦の様 子から推察するに、いわば、娘を結婚相手に「贈与」する、というイメージがあったように思われます。
この考えは、現代の日本では古い価値観のように判断されるものの、感覚的には根強く残っているように感じます。娘を嫁にもらった男が家を存続させる、というのが長らく常識だったためです。なので、親からすると娘、とりわけ一人娘の結婚なると、娘にとって幸せになるように相手を慎重に選んでほしい、親である自分たちが選びたいくらいである、という心情になるのが一般的です。
しかし、今一度立ち止まって考えると、この「贈与」という考え方自体、娘を所有物のように扱ってはいないでしょうか?現代でも相続発生前の準備段階などでそれが露になるケースがあります。「娘として大事に育てたが、感謝もなければ言うことも聞かない」と考えてしまう親。この話、どこかで聞いたことはありませんか?
そうです。この連載の第一回で話題にしたシェイクスピアの『リア王』がまさにそうでした。この話も結婚直前の時期であり、これがきっかけで親子で致命的なほどに揉めてしまいました。
実の娘であっても、当然ですが人格・人権があります。反抗して選ぶ自由もあるし、それを許す度量も求められます。ましてや、かぐや姫は月の世界から授かった贈り物であり、いずれは月に返さないといけないも分かります。もちろん大切な娘さんを守ることは非常に人間的で素晴らしい愛情ですが、結婚の際に「『贈与』だと思うのは『よそうよ』」という精神が、所有物として考えないという意味で大事な考え方のように思います。
YouTubeチャンネル「相続と文学」では今回の論点をより詳細に解説しています。ご感想やご意見をYouTube等でコメントして頂けると幸いです。