コラム

シェイクスピア「リア王」と相続

シェイクスピアの有名戯曲で今春に日本でも上演された「リア王」は謎が多く不条理な物語だと評されてきました。「リア王が自分勝手なので最後に罰を受けて死ぬのはわかる。でもなぜ三姉妹の末娘コーディリアは誠実で父親思いなのに最後死んでしまう悲劇になるのか?あまりにも可哀想ではないか?」といった感想を抱くためだと思われます。


しかし「相続」という視点で考えると実は納得がいく面もあります。この戯曲執筆直前にお父さんを亡くし、相続におけるモラルを主題の1つとして考えていたであろう作者のシェイクスピアとしては(あくまで私の仮説です)、この清廉潔白で誰が見ても善のイメージしかないコーディリアも、実はいわゆる「相続的な罪」を犯していたため、可哀想ではあるが罰を受けてもらわないといけないと思っていたように感じます。


さて、どんな「相続的な罪」でしょうか?コーディリアは父であるリア王から、「将来の争いを防ぐために自分が死んだときの遺産をどうするか発表する。ただし親を思う気持ちが最も深い者に最も大きな贈り物を授けよう」と言われます。長女二女が思ってもいない父への愛情を口だけで取り繕って財産を引き出そうとしているのに嫌気がさし、「何も」と答えたのでした。「何もないはずはないだろう、言い直せ」と父に言われて「不幸せな性分で、胸の思いを口に出すことができないのです。私はお父様を愛しています。子の務めとして。それ以上でもそれ以下でもありません」と答え、リア王を激怒させてしまい勘当されてしまうのでした。


「いやいや、コーディリアは決して反抗心でそう言ったのではない。謙虚で慎み深く父を実際に愛していた。ただ愛情を伝えると自分のモラルに反して財産をたくさんもらうことになってしまうからあえて愛情を伝えなかっただけだ。むしろそんなことを言わせるリア王の方こそ大いに問題がある!」そう仰る方も多いでしょう。私もある意味同感です(実際リア王もそのような「相続的な罪」を犯した結果、物語の最後で作者により罰を受けて亡くなります)。


しかし、本当にそう言い切っていいでしょうか?私としてはずっと国を命をかけて守ってきたリア王の目線で考えると、コーディリアのこの言葉はある種「罪」深さを持っているように思えます。もちろんコーディリアが良い人であることは間違いないです。私もできればコーディリアを応援したい。ただこの言葉が突き刺すダメージは深い。酷な要望かもしれませんが、愛情があるならしっかり伝えてそのうえで遺産を自分ら姉身内だけにではなく、国のためにこのように使ってほしいという提案もできたように思われます。


賛否両論あるかと思いますが、そのあたりをYouTube「相続と文学」でもまとめました。ぜひご覧頂き、ご意見をコメントとして頂けると幸いです


【相続と『リア王』前編】なぜリア王は三女コーディリアにあんなに怒ったのか?