コラム

第12回終 事業承継の反面小説

カテゴリ 文学で学ぶ相続の知恵
公開日 2025年12月05日
最終更新日 2025年12月05日

 

1901年に発表されたこの大作は、作者のト ーマス・マンがわずか25歳のときに世に出し、 のちに彼がノーベル賞を受賞する最大の理由と なった作品です。リューベックというドイツ北 部の都市を舞台に、名門商家の4世代にわたる 栄華と没落を描ききった大河小説。まさに「市 民時代の文学」の代表作といえます。
第二次世界大戦中、亡命先アメリカで「ドイツに帰りたいと思わないか」と問われたマンは、 「私のいるところがドイツだ」と答えたと伝え られます。誇り高く自信マンマンな作家。そん なマンの名作を“満”を持して解説します。

マンを持したあらすじ

⑴ ブッデンブローク家は大商人として繁栄を 極め、新しい屋敷での盛大な晩餐会から物語 が始まる。第一世代ヨハンから第二世代コン ズル(ジャン)への事業承継の様子が語られる。

⑵ しかしコンズルの異母兄との不和や親戚と の賠償問題など、家族の内部には早くもひび 割れが潜む。

⑶ コンズルの次の第三世代はそれぞれ問題を 抱える。長女トーニは家名のために結婚する が失敗を繰り返す。長男トーマスは家業を継 ぐが重圧に苦しむ。次男クリスチャンは享楽 的で商売に不向き。末娘クララは敬虔だが病 弱。

⑷ 第四世代のハノーは芸術的感受性を受け継 ぐが、病弱で家業の担い手にはならず、ついに 一族は途絶える。

異母兄の存在

前半の主人公であるコンズルにはゴットホル トという異母兄がいます。これは父ヨハンが最 初の妻との間にもうけた子で、非嫡出子ではあ りません。しかし、父ヨハンの経営する商会を 継いだのはコンズルでした。ゴットホルトはそ の扱いに不満を抱き、遺産や財産分配をめぐっ て父や一族と対立するようになります。

相続の実務でも、先妻と後妻の子ども同士で 摩擦が生じたり、親子間でぎくしゃくするケー スは珍しくありません。遺言で解決しようと思 っても、感情が理性を上回ってなかなか進まず、 書けない、あるいは書くのに膨大な時間がかか ることがしばしばです。

また、本作でも「母」の調整役としての働き は見られず、結局うまくいかないまま問題が尾 を引きます。

トーニの結婚失敗

コンズルの長女トーニは成人後、商人グリュ ーンリッヒと結婚します。しかしこの結婚は大 失敗。トーニ自身は相手を生理的に受け付けな いほど嫌っていたのに、父コンズルが「富裕な 商人」という肩書きを気に入り、家業の将来を 見据えて強引に押し進めたからです。ところが 実際には、夫の事業は火の車で、彼はトーニの 持参金を目当てにしていただけ。父の期待も、 娘の人生も裏切られ、短期間で破綻します。

相続・事業承継の現場でも、子どもの結婚は 大きな要素になります。「同じ業種の家がいい」 「同じ育ちの家がよい」「婿養子をとりたい」「孫 養子にしたい」そうした思惑が渦巻きます。と ころが、そこでは当人の感情よりも、家の勘定 が優先されがちです。

本来、それに気づき調整できるのは「母」の 役割です。しかしこの物語ではここでも「母」 は機能せず、結果的に娘の人生を翻弄すること になってしまいました。

アトツギの堕落

2代目コンズルから3代目トーマスへの承継 は一見スムーズでした。家業も一時は盛り返 し、市の参事にも選ばれ、美しい妻を迎え、さ らに4代目候補となる長男ハノーも生まれ、順 風満帆に見えました。

しかし、新しい屋敷を建てて家名を誇示した あたりから、雲行きが怪しくなります。家業を 手伝っていた弟クリスチャンとは、価値観の違 いから仲違いし、ついに袂を分かちます。妻ゲ ルダは音楽と芸術にのめり込み、息子ハノーの 天才的なピアノ演奏に夢中になり、家業には無 関心。トーマス自身も地位と名誉に安住し、肥 え太り、努力を怠って次第に衰えていきます。

本来ならここで軌道修正を助けるべき「母」 の役割が必要でした。しかし実母エリーザベト はすでに亡くなっており、配偶者ゲルダも調整 役にはならなかったため、堕落の流れを止めら れなかったのです。

母の不在

ブッデンブローク家の物語を通じて一貫して 見えてくるのは、「母」が承継や相続の調整役 として機能しなかったことです。

祖母アンティエは信仰深く規範を守る存在で したが、感情の調整役にはなりませんでした。

トーマスの母エリーザベトも、父コンズルの 意向を支えるだけで、子どもの気持ちを代弁す ることはありませんでした。

トーマスの妻ゲルダは、息子に芸術を伝えま したが、家業や承継には冷淡で、調整どころか むしろ没落を早めました。

その結果、兄弟の不和や結婚の失敗、当主の 堕落といった悲劇が次々に起こります。

相続における「母」

結局、ブッデンブローク家の没落は財産や経 営の数字よりも、「母的存在の不在」が決定的 だったといえます。父の論理がそのまま子にの しかかり、感情を受け止める人がいなければ、 承継は難航します。

これは100年以上前の小説でありながら、現 代の相続・事業承継の現場にもそのまま当ては まります。実際の実務でも、母が健在で調整役 となることで相続が円満に進むケースは多々あ りますし、逆に母がいない・機能しないと紛争 が激化しがちです。

相続で本当に大切なのは財産の分け方だけで はなく、「誰が調整役となり、家族の思いをど うつなぐか」。この点を意識するかどうかが、 承継の明暗を分けるのです。

最後に私事ですが

筆者自身もファミリービジネスの3代目アト ツギです。この小説を題材にと薦められたとき、 正直ためらいました。名作ですが、家業の没落 を描いた物語なので、自分や家族に重ねて読ん でしまって少し堪えそうだと思ったためです。

しかし実際に向き合ってみると、むしろ「こ うならないためにどうするか」を考える格好の 反面教師となり、実人生を前向きに進めるヒン トを与えてくれました。しかも文学として超一 級品で相続や承継の示唆に満ちた場面が次々に 現れます。今ではこの出会いに感謝しています。

読者の皆さまにとっても、文学を通じて相続 や承継を考える一助となれば幸いです。 (終)

 

※本内容は「税務弘報 2025年12月号」に掲載されています。