コラム

第4回遺産はもうたくさん?

カテゴリ 文学で学ぶ相続の知恵
公開日 2025年04月01日
最終更新日 2025年04月10日

この連載は、私が大学・大学院時代に研究した「文学」を素材に、私の専門実務である「相続」における知恵について学ぶ、という内容です。第4回目は『遺産』。19世紀フランスの大人気作家モーパッサンの中編小説です。モーパッサンといえば有名なのは『脂肪の塊』『女の一生』で、この『遺産』は比較的マイナーで、仏文学専攻の私も正直つい最近まで存在すら知りませんでした。YouTube「相続と文学」の
ネタ集めの過程で偶然出会ったのですが、一読して相続の本質を描いていることがわかりました。

後味が悪「遺産」

まずは簡単なあらすじを紹介します。最後のオチとしてのネタバレが含まれるので、小説のストーリーを楽しまれたい方はご注意ください。

⑴セザール・カシュランは海軍省で働く文書係の役人で、娘コラを将来有望な部下ルサブルという男に嫁がせた。セザールの姉シャルロットは資産家で10億円以上の財産を持っており、彼女の遺言には「ルサブルと姪にもし子供が生まれたらその子供に自分の全遺産を譲る」という停止条件が付されていた。

⑵遺言を知ったルサブル夫妻は愕然とし、なんとか子供を授かろうと奮闘するが、不妊に悩み苦しむ日々が続く。さらに遺言には3年という期限が設けられており、それを過ぎると遺産は慈善団体に全額寄附されることになっていた。

⑶夫婦は喧嘩を繰り返しながらも、やがて仲直りし、ついに子供を授かる。そして期限内ギリギリに子供が生まれ、遺産を手にし幸福を得る。しかし、実はその子供は妻が別の同僚の男性との間に授かった子供である可能性が高いという皮肉な結末が示唆される。

いかがでしょう。ハッピーエンドと思いきやかなり後味が悪く、ちょっと嫌な気分になるオチですよね。この作品に対してだけではないですが、夏目漱石はモーパッサンの小説の大半は厭世的であまり好きでないと嫌悪感を公言するくらいでした。

なぜ「遺産」をタイトルに?

それにしてもこのタイトル、不思議です。かなり抽象的な普通名詞『遺産』としているのはなぜでしょうか?普通このあらすじなら『待望の子供』とかがふさわしいタイトルだと思わないでしょうか?

ここに私はモーパッサンのこの小説における主題があると思い、相続の専門家の視点で3つの理由を挙げて分析しました。

①動物的になる原因が遺産

物語の主人公は誰でしょうか?遺言を書いたシャルロット?その遺言をもとに子作りに励むカシュラン夫妻?私は「遺産」そのものが主人公に感じました。というのも「遺産」や「お金」を目の前にして手に入るかもしれないと思うと、人間は理性よりも欲求が打ち勝ち、より動物性が前面に出て感情が露になるためです。

文学史的には、モーパッサンは19世紀フランスの自然主義・写実主義の作家として位置づけられています。バルザック、フローベール、ゾラが代表的作家ですが、彼らは人間の泥臭い部分を隠さずに描き、リアルな人間模様を描くことを躊躇しませんでした。モーパッサンは初期の大ヒット作『脂肪の塊』でも欲に駆られた人間のリアルな不道徳性を描いており、この作品でも「遺産」に翻弄された人を描きたかったのだと思います。

相続の実務の現場でもそういった姿を見ることは多いです。社会人として尊敬できるような人でも、いざ「遺産」を他の相続人とともに目の前にすると利己的になり、「ずるい」「損している」という感情が湧き、遺産分割協議で激しく口論する場面に幾度となく遭遇してきました。他の相続人は実のきょうだいであることが多いので喧嘩をしていた子供時代にタイムスリップし、なおさら動物的になります。

②作者経歴に相続的体験が多い

モーパッサンの経歴を見ると実に波乱万丈です。幼いころに両親が離婚します。実の父は女好きの田舎紳士でタチが悪かったようです。そして大学時代に普仏戦争に駆り出され悲惨な目に遭います。戦争の影響か、法学部から文学部に転部し、文学に救いを求める中、祖父の相続に直面します。その際、実の父親と相続財産をめぐって揉めます。作家となって『脂肪の塊』の出版で成功するも、すぐに事実上の父で師匠のフローベールが亡くなってしまいます。

このように家族の離散、生死を分ける戦争、揉める相続や師匠の死といった過酷な体験を通して、人間の本性というものに向き合わざるを得なかったわけです。私としてはこのような体験を「相続的体験」と呼んでいます。

相続は実務として携わる士業の立場としてもそうですが、かなり感情を揺さぶられます。家族が亡くなっている上にその遺産を引き継いで相続人で分けないといけないためです。いずれは自分も亡くなるということも否応なく感じさせてしまうため、まさに戦争体験に近い感覚と言っても過言ではないように思います。

つまり遺産も普仏戦争も同じように生死を感じさせる過酷な体験のきっかけであったわけです。過酷な人生を喚起させるために「遺産」とタイトルに付したように感じます。

③両義的な遺産から人生を問う

遺言には「ルサブルと姪にもし子供が生まれたらその子供に自分の全遺産を譲る」という停止条件が付されていたとあらすじで述べました。『犬神家の一族』や『女系家族』でも「〇〇したら相続させる」が多いですが、民法では985条2項で停止条件付遺言について規定されています。この条件、しっかり考えないで安易に付けてしまうと揉めやすくなります。負担を強いるとやはり感情が増大するからです。

今回の子供が生まれたらという条件もかなりシビアです。特にこの小説の夫婦のように不妊に悩む場合は非常に過酷で、パートナー以外との子供を作ろうと思うきっかけを作ってしまったと言っても過言ではないです。

ただ、モーパッサンは皮肉だけで終わらせたかったのではないように感じます。夫からすれば自分の子供ではないかもしれない、妻が遺産に目が眩んで同僚との間に子を宿したのかもしれない。でも遺産が無事手に入り幸せならばそれでもいいじゃないか。

何事も悪い面もあれば良い面、義務もあれば権利もあるじゃないか。そんな声も聞こえます。あくまで仮説ですが、清濁併せ呑む両義的な存在である『遺産』にスポットライトを当てて人生とは何かを問うためにこのタイトルにしたのかもしれません。

※本内容は「税務弘報 2025年4月号」に掲載されています。