コラム
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目次
プロサッカー選手、留学生、監督、そして競技団体の会長--
立場が変わるたびに新たな決断を重ねてきた宮本恒靖氏。その判断力の源流はどこにあるのか。
経営者として同じ問いに向き合い続けるレガシィ会長の天野隆との特別対談。

Takashi Amano
渋谷区出身。税理士法人レガシィ代表社員税理士。公認会計士、宅地建物取引士、CFP。アーサーアンダーセン会計事務所を経て、1980年より現職、2021年にレガシィマネジメントグループ会長。執筆・監修した書籍は100冊を超える。
Tsuneyasu Miyamoto
大阪府出身。公益財団法人日本サッカー協会(JFA)会長。日本代表としてワールドカップ2大会に出場した。FIFAマスター修了。ガンバ大阪監督等を経て、2024年に、元プロサッカー選手、ワールドカップ出場選手として初のJFA会長に就任。国際サッカー連盟(FIFA)競技規則委員長など国際的な要職も数多く務める。
天野:本日は、日本サッカー協会(JFA)会長の宮本恒靖さんをお招きしました。お忙しい時期にお越しいただきありがとうございます。本日はよろしくお願いします。
宮本:こちらこそ、よろしくお願いします。
天野:さて、宮本さんは選手時代にディフェンスの要としてプレーされていました。私は常々、税理士の仕事はディフェンダーに似ていると感じているんです。攻めではなく守りの仕事で、しかもうまく守れている時ほど目立たない。
宮本さんはまさにディフェンダーとしてキャプテンを務めてこられた方ですから、今日はそのご経験から組織を率いる今のお仕事まで、じっくりお話を伺えればと思います。
宮本:面白い視点ですね。確かに共通点がありそうですね。
天野:いちサッカーファンとして最も印象に残っているのが、2004年に中国で開催されたアジアカップ準々決勝のヨルダン戦です。PK戦で中村俊輔さん、三都主アレサンドロさんと2人続けて外してしまった。それを見て、キャプテンの宮本さんがレフェリーに申し入れに行かれた。あの場面は今でも忘れられません。
宮本:俊輔もアレックス(三都主)も、間違いなくトップレベルのキッカーです。2人とも左利きでした。ただ、俊輔が外した時に、踏み込んだ右足の下の芝が動いたのが見えたんです。ちょうど1か月くらい前のEUROで、ベッカムも同じように足元の芝が浮いてPKを外していた。あのベッカムでさえ、芝の状態ひとつでああいう外し方をしてしまう。それを思い出して、アレックスが外したら行こうと決めていました。この状態で蹴らせるのはフェアじゃないと。
天野:聞き入れてもらえるとは思っていなかったんですよね。
宮本:思っていなかったです。でもレフェリーに「It’s not fair」と伝えた時、表情が変わったんです。以前、世界的にも著名な元レフェリーの方とこのPKの時の話をしたことがあるのですが、「フェアじゃない」はレフェリーにとって非常に重い言葉だと。
両チームにフェアな状況でプレーさせることが彼らの最大の使命だからこそ、琴線に触れたのだと思います。表情が変わったのを見て畳みかけました。「あなたの決定でなくても、マッチコミッショナー(試合の運営責任者)と話をしたらどうだ」と(笑)。
天野:あの大舞台で英語でそこまで言えるのがすごい(笑)。前代未聞の出来事でしたよね。
宮本:当時ルールもなかったらしく、その後ルールが決まったと聞きました。正直、反対サイドの芝の状態が良いかなんてわかっていなかったんです。でも、2人続けて外してこのままでは負ける。とにかく流れを変えなければならなかった。サイドが変わった結果、川口能活が神がかり的なセーブを見せてくれました。
能活は時々神がかるんですよ。彼曰く、集中している時のサインとしてキッカーがボールを蹴る直前に無意識にグラブを叩くらしいんですが、あの時もそのサインが出ていた。2006年ワールドカップのクロアチア戦でも、私がPKを取られた絶体絶命のピンチで、同じようにグラブを叩いてから飛んで止めてくれている。彼のプレーがあったからこそ勝てた試合でした。
天野:やはりリーダーって、不利な時にどう動くかが問われますよね。
宮本:「こうなるかもしれない」という準備が心の中にあったからこそ行動できた部分はあります。「外したらどうしよう」と内向きだったら、ああいう判断はできなかった。サッカーでは、監督に相談してからではなく、ある程度自分たちで判断することが許容されています。チームが勝つためにできることをやるということが大切です。
天野:私にも似た経験があります。社員の4割が辞めた時期がありました。お客さまに謝って回ったんですが、結局は自分の責任。ただ気持ちの面では、半分は自分の責任、半分はたまたまそういう環境だったと、自分を責めすぎないバランスも大切だと学びました。逆境の中でどう構えるかは、経営者にとっても大きなテーマです。
宮本:おっしゃる通りです。そうした経験があったからこそ今がある。物事をプラスに捉えるということは、サッカーでもどんな経営でも同じだと思います。

天野:あの2004年の大会は、チームとしても特別だったのではないですか。
宮本:重慶という中国国内でも反日感情が非常に強いと言われている都市での試合では、キックオフ前に「君が代」が流れるだけで大ブーイングでした。そんな逆境だからこそ、苦しい戦いに勝った時の一体感がどんどん生まれていった。ヨルダン戦も厳しかったですし、次の準決勝バーレーン戦では前半に遠藤保仁がレッドカードで退場し、相手に先制されたんです。そこから後半アディショナルタイムで追いついて延長で勝つという劇的なドラマがあった。
そうした戦いを重ねる中で、チームとしてのプロセスを体で感じ取りました。岡田武史さんがよく言われるんです。「一体感なんて意識的に醸成できるものじゃない。勝ち進んだり、ギリギリのところでやり切ることで勝手に醸成されるもの。最初から“一体感を持ってやろう”と言っているようではダメだ」と。だから私も今の立場で言いたくなるんですが、あえてブレーキをかけています。
天野:行動で見せるということですね。
宮本:はい。澤穂希さんの言葉に「苦しい時は私の背中を見て」という言葉がありましたよね。雄弁に言葉で語るリーダーもいれば、背中で示すリーダーもいる。キャプテンとして私がやっていたのは、監督と選手の橋渡しです。
今でこそ海外でプレーしている選手も多いですが、当時は日本代表選手でも外国人監督とコミュニケーションを取ることが得意でない選手も多く、監督の起用の意図が汲み取れない選手が悩んでしまって、良いプレーが出せなくなってしまっていることもありました。私が間に入る形で監督の意図を伝えたら整理できて、その後プレーが良くなったということが実はありました。経営でも、トップの意図を現場に翻訳して届ける役割は重要ではないですか。
天野:まさにそうですね。それは我々の組織でも日常的に起きている課題です。ちなみに、キャプテンはご自身から手を挙げたんですか。
宮本:いや、「やってくれ」と言われることが多かったですね。ただ、初めてキャプテンをやったのは中学ですし、小学校4年生の時に学級委員に推薦されたのが最初だったので、気がつけばそういう役が回ってくるようになっていました。

天野:先ほどのPKの場面で、英語でレフェリーと交渉できた背景も気になります。お母様が英語教師をされていたとか。
宮本:家庭で英語が飛び交っていたわけではありませんが、発音が悪いと修正されました。車の中で「ワン ツー スリー」と言ったら、「ツーじゃなくてトゥーとか、Thはこう出すの」と言われた記憶があります。英語の発音を真似るのは意外と好きで、映画のタイトルコールやCMを真似たりしていました。
中学の英語暗唱大会では大阪府の大会まで進みましたが、審査員の一人が母親で(笑)。息子が出るということで母は審査員から退いたものの、結果的に私が優勝して母から表彰状を渡されることになりました。他にも上手な生徒はいたと思うのですが、みんなはタイタニックなどスピーチ向けの題材を選ぶ中、私は「人間ってみんな平等でしょ」という話をした。それが評価されたようです。
天野:そうした背景があって、あの場面でレフェリーと対話できたわけですね。レフェリーとの関係づくりについても聞かせてください。
宮本:プロとして1年目の試合だったと記憶していますが、レフェリーから背番号で「3番!」と呼ばれたんです。「いやいや、3番という名前ではないし」と思って(笑)。その時に試合に臨むに当たってレフェリーの名前を覚えて、名前で呼んでから話をしようと決めました。試合前のメンバー表で名前を確認して、「〇〇さん、今のってどこがファウルか知りたいな」と軽く聞く。そうするとこちらの話を聞こうとしてくれるんです。
ヨルダン戦のレフェリーはマレーシアの方でしたが、実はそれまでに3~4試合日本の試合を担当されていたことがあって、その中でコミュニケーションを積み重ねた関係があったからこそ、あの場面で話を聞いてもらえた部分もあると思います。ただ、感情的になるといい結果にならないので、怒りが出た時は抑えるようにコントロールしていました。
天野:名前を呼ぶ、感情をコントロールする。これは顧客対応でも組織運営でも、基本中の基本ですね。
宮本:おっしゃる通りです。グイグイ行くタイプではないんですけど、食事の場でもみんなが見えるところに座って動きを観察していました。選手の時も、監督の時も、今もそうです。執務エリアでも皆が見える場所に座って、「この人は10時頃に来るな」「8時半からいるな」と。そうした情報を持つということも、人をまとめることに通じていると感じています。
天野:人を観るのも楽しいですよね。でも、今の私は対談の内容に夢中になりすぎて、自社の社員を見てないです(笑)。

天野:選手引退後、国際サッカー連盟(FIFA)の主宰する修士課程であるFIFAマスターに進まれました。引退セレモニーで「サッカーはもっとこの国で大きな存在になれる」とおっしゃっていたのが印象的です。
宮本:あの時の考えは今も変わっていません。2002年のワールドカップで日本中が熱狂した景色が原点です。その後、自分がJリーグの試合をプレーした時にも、ワールドカップからサッカーを好きになった人が見に来てくれた。あのインパクトやレガシィをもっとこの国に溢れさせたい。
でも選手としての引き出しだけでは足りない。そこで田嶋前会長に紹介いただいたFIFAマスターに留学し、イギリスのデ・モントフォート大学・イタリアのボッコーニ大学・スイスのヌーシャテル大学といった3大学を回ってスポーツに関する「歴史学」、「経営学」、「法学」を学びました。歴史・経営・法律という3つの視点を持つことが、組織を運営する人材にとって重要だという考え方です。
天野:当時、宮本さんが担当されていた新聞のコラムを拝見したのですが、ROE(自己資本利益率)を勉強していると書かれていて驚きました。
宮本:浅くですが。英語の会計学をイギリスで学んで、ベースを整えてからイタリアでもう少し深く学ぶ形でした。自身のケースを振り返ってみたのですが、ヴィッセル神戸に移籍した時、自分がクラブの資産として計上されていたのを知って驚きました。移籍金が資産に上がり、契約期間で償却される。自クラブのアカデミーで育った選手は計上されないんですけど、高額な移籍金があった場合は計上されるんです。
選手をやっている時はそういうことは知らないですからね。引き出しを増やしたかった。ただ、しんどかったです(笑)。毎日9時から17時まで授業、週末はレポート、全部英語。法学も専門用語が多く、しかも英語の表現で学ぶので厳しくて、授業をスマートフォンで録音して車中で繰り返し聞いたりと必死でした。一瞬「ああ、俺、去年までサッカー選手やったよな?」と思うこともありましたが、自分で選んだ道ですし、途中で放り投げるわけにもいかない。
天野:私も若い頃、ヒューストンに6か月ほどいたことがあります。アメリカの会計業界を見て帰ってきた時に、「この先はどうなるのか」「視点を変えるとどう見えるのか」という感覚が生まれた。現場の外に出て視座を変えた経験は、その後の仕事の土台になりますよね。
宮本:まさにそうです。選手の時は限られた視点でしかサッカーを見られなかったのが、歴史的に、法学的に、経営学的に—立体的に捉えられるようになった。大きく負荷をかけて結果を出すことで、大きな自信につながりました。

天野:そうした学びを経て、ガンバ大阪の監督も務められ、日本サッカー協会(JFA)の会長に就任されました。具体的にはどんな改革を?
宮本:JFAに入った時、田嶋前会長から「日本サッカーの将来を担う人に入ってきてほしい」と言われたことが大きかった。正直、自分が思っていたより少し早いタイミングでしたが、「サッカーを日本でより大きな存在にしていく」仕事がしたいという想いは明確でした。
まず取り組んだのが、代表選手のコミュニケーションです。たとえば、選手のところに行って、JFAの収支を説明する。「協賛金が約半分で、これは皆のために使っているお金です」と説明したり、職員とこれまでよりつながる機会を作ったりなど。選手の時はバックオフィスが何をしているか全く知らなかった。知ってもらうことで支援を実感し、セカンドキャリアを考えるきっかけにもなります。
天野:男女の代表チームの待遇改善も話題になりましたね。
宮本:男子ではチャーター機の戦略的な利用が話題になりました。商業フライトでは欧州で日曜に試合をした選手が日本に到着するのは早くても火曜日になってしまいます。チャーター便を使えば1日早く日本に帰国できる。早く移動できることで選手のパフォーマンスが向上し、それが結果的には商業的な価値の向上にもつながる。代表チームに試合で最高のパフォーマンスを出してもらうというところから逆算してチャーター機の利用という投資を実行したわけです。
見積りとにらめっこしながら決裁しましたが、この仕組みを関係者に理解してもらうことで、ようやく実現できました。女子でも遠征の際にビジネスクラスを利用したり、二人部屋だったのを一人部屋に変更したり、海外遠征の際に日本人シェフを帯同するなど改善に取り組んでいます。
天野:1億円の投資判断を、費用対効果のストーリーで合意を得ていくわけですね。
宮本:女子サッカーにも大きな可能性を感じているんです。2023年の女子ワールドカップ決勝をシドニーで観たのですが、イングランド対スペインの試合に7万5000人を超える観衆が集まっていた。スタジアムの大型ビジョンに映った選手たちが本当にかっこよくて、素直に「この景色を日本でも作りたい」と思いました。心を動かされる瞬間をつくること、それがサッカーやスポーツの役割だと思います。
天野:日本サッカー協会では、2050年までにFIFAワールドカップを日本で開催し、その大会で優勝することを目指されています。今後の展望についてお聞かせください。
宮本:FIFAは各大陸持ち回りでワールドカップを開催することを明言しています。現時点でサウジアラビアで2034年のワールドカップが開催されることが決定しているので、その次にアジアでワールドカップが開催できるのは2046年が最短になります。そこを狙っていきたいと考えています。ちょうど20年後になります。
今年は私が出場したドイツワールドカップからちょうど20年ですが、この20年で日本の選手たちのレベルは間違いなく上がっています。現在の選手たちもヨーロッパの強国と試合をしても、いい意味で「普通」になっている。自分たちの水準を理解しているからこそだと思います。もうすぐ開幕するFIFAワールドカップ26でも「どうやって勝つか」という視点で試合に入っていくはずです。あとは我々がサポートを積み重ねるだけです。
天野:私もワールドカップは4試合観に行きます。現地では人生をかけて世界中から来ているファンの熱量がすごくて、テレビとは全く違う。好きなものを観ることがこんなにも楽しいのかと実感しますし、その魅力をもっと多くの人に伝えたい。サッカーフリークの仲間を増やしたいという想いも、今回この対談をお願いした理由の一つです。
宮本:嬉しいですね。JFAの理念を端的に表現すると「サッカーで未来をつくる」ということだと思っています。引退試合の時から変わらないのは「巻き込む」という姿勢です。みんなで一緒に作っていきましょうと。
47都道府県にあるサッカー協会の基盤を強くすること、国際舞台で日本のプレゼンスを高めること、地域の子供たちが試合に出られる環境を整えること—やりたいことは山ほどあります。エリート層を育てるだけでなく、生涯にわたってサッカーを楽しめる社会を作りたい。そのためには多くの方の力が必要です。

天野:最後に、読者である税理士や経営者の皆さまに向けてメッセージをお願いします。
宮本:選手にとって、お金や教育に関するリテラシーは非常に大切です。早い段階から色々な教育を受けることでアンテナが立ち、「お金を大事にするために何をしなければいけないのか」と自然に考えが及ぶようになる。プロになれば触れる機会はありますが、もっと早い段階から「知る」機会をつくっていただきたい。税理士の皆さんには、そうした「知る機会」の担い手としての役割を期待しています。
天野:私の親しい方にJリーガー専門の税理士がいるのですが、話を聞くと、税金を教えているのか生き方を教えているのかわからないんです(笑)。
宮本:そういうアドバイザーのような方がいらっしゃるのは、とても興味深いですね。選手にとっても、将来にとっても大きな意味があります。
天野:税理士も「守る」仕事です。でも今日のお話を伺って、守ることを知り尽くした人こそ、信頼が生まれ、ここぞという時に攻めに転じられるのだとあらためて感じました。さらにこの対談をきっかけに、サッカー好きの皆さまもぜひ公益財団法人日本サッカー協会(JFA)への寄付で一緒に応援していきましょう。本日はありがとうございました。
宮本:ありがとうございました。今後とも日本サッカーへの応援をよろしくお願いします。
