レガシィクラウド ナレッジ
デジタル遺言解禁へ:民法改正中間試案のポイントと準備
デジタル技術を活用した新たな遺言の方式の在り方等についての調査、審議が、法務省の法制審議会民法(遺言関係)部会(法制審部会)において進められています。現在の民法の定めている遺言の方式は、普通方式のものとして、「自筆証書遺言」「公正証書遺言」「秘密証書遺言」があります。それに加えて、特別方式として「隔絶地遺言」「危急時遺言」「領事方式遺言」があります。このうち多く利用されるのは、公正証書遺言と自筆証書遺言です。
法制審部会では、民法の定める遺言の普通方式に、デジタル技術を活用した新たな遺言の方式を加えることを中心に、併せて現行の方式のなかの自筆証書遺言等における押印要件を残すかどうか、特別方式の整理について、検討がされているところです。
2024年2月に、法務大臣から法制審議会への諮問がなされ、法制審部会における議論を経て、2025年7月15日に中間試案の取りまとめがなされ、同年7月29日にパブリックコメントに付されました。
本稿では、法制審部会の中間試案の内容と議論のポイントを解説し、あわせて関係する遺言法の論点についても必要な範囲で説明したいと思います。なお、本稿のなかで意見または評価にあたる部分については、筆者個人の意見または評価ですのでご留意いただければと思います。
遺言の方式が厳格な理由──真意性と真正性
遺言は、方式が厳格に定められています。たとえば、現行法では押印を欠く自筆証書遺言はその他の部分が適切に作成されていたとしても、無効となります。これはなぜでしょうか。
遺言は、遺言者の死亡後に効力が発生します。したがって、その真意を遺言者に確認することが原理的にできません。これが契約であれば、口頭で契約したとしても、ごく簡単な押印のない契約書が作成されただけであったとしても、その内容が問題になる場面の多くにおいて、契約をした当事者が契約の真意はこういうことだったと説明することができます。
また、契約について訴訟で争われた場合にも、その真意について裁判所で話すことができます。契約書が偽造されたという場合にはこれは自分が作成した契約書でないといえますし、錯誤に基づいて契約をしてしまった場合もそのことを伝えることができます。
しかし、遺言の場合は、有効性や真意が問題となるのは必ず遺言者の死後であるため、遺言者自身が真意を説明することはできません。偽造や変造がなされたとしても、作成した遺言者はそのことを指摘することができません。
そこで、遺言の方式は遺言者の真意を確保し、偽造・変造を防止する必要から厳格に方式を定めているのです。なお、遺言者の真意を確保することを「真意性」の観点、偽造・変造の防止のことを「真正性」の観点という用語で呼び、法制審部会の中間試案でもこの用語が頻繁に出てきますので、本稿でも真意性、真正性という用語を使いたいと思います。
デジタル遺言創設の背景
デジタル技術を活用した新たな遺言の方式の創設が検討されている背景ですが、我が国では遺言があまり利用されていないという現状がありました。たとえば、令和6年の死亡者数は161万人余です。これに対して、同年の自筆証書遺言の検認数は裁判所所の司法統計によれば、約23,000件です。
亡くなった人のうち公正証書遺言がある人の正確な数は把握できませんが、令和6年の公正証書遺言作成件数か約128,000件であり、近年増加傾向にあることからすると、亡くなった際に、公正証書遺言又は自筆証書遺言を残す人の割合は、10%に満たないことがわかります。このように我が国では遺言の利用があまり進んでいない実情があります。
遺言の方式は、明治民法の下で定められた後、平成30年に自筆証書遺言に財産目録を付ける場合にその部分について自書でなくてもよいとする改正がなされ、遺言の方式そのものではありませんが自筆証書遺言書保管制度が整備される等一部の制度の改正等がされたところで、実際に自筆証書遺言書保管制度については令和6年に約23,000件の保管申請がなされる等、一定の利用がみられました。
それでも方式が厳格すぎて使いにくいことから遺言の作成が広まらないのではないか、ということから遺言の方式について近年のデジタル技術を踏まえた制度創設が検討されることになりました。
法制審部会の中間試案の概要
法制審部会では、研究者、実務家、利用する側の社会の代表者等のメンバーにより、議論が進められ、中間試案では、遺言の新しい方式について甲1案、甲2案、乙案、丙案の4種類の案が示されました。このなかの一つまたは複数のものが創設されることが想定されてます。
①甲1案
甲1案は、PCやスマートフォンで作成したデジタルデータ(テキスト等)を遺言とし、作成過程で二人以上の証人が立ち会って録音・録画をすることを要件とすることで遺言の真意性、真正性を確保しようとするものです。
②甲2案
甲2案は、デジタルデータ(テキスト等)を遺言とし、甲1案で求められる証人の立会いを不要としこれに相当する措置として本人確認をすることができる機能等を備えた、民間事業者の提供するアプリケーションを利用することを想定するものです。
③乙案
乙案は、デジタルデータ(テキスト等)を公的機関に保管申請し、公的機関が本人確認を行った上で、保管することを要件とする案です。公的機関の関与により、真意性、真正性を確保しようとするものです。
④丙案
丙案は、デジタルデータ(テキスト等)でなくワープロソフト等で作成した遺言の内容をプリントアウト等した書面を公的機関に保管申請し、公的機関が本人確認を行った上で、保管することを要件とする案です。ワープロソフトのプリントアウト等の書面を遺言としたいという要請は広くみられることから、提案されたものと思われますが、実質的には乙案とよく似ています。
また、中間試案では、デジタル技術を活用した新たな遺言の方式の創設以外にも自筆証書遺言において押印を不要とするかどうかについても、不要とする案と存続させる案が併記して示されているほか、特別方式の遺言についても要件の整理等の法改正が提案されています。
遺言の方式の厳格さと利用しやすさ
これら法制審部会の中間試案で提案された各案については、パブリックコメントに寄せられた意見等も考慮し、引き続き法制審部会で議論が続けられますが、ここではその際の考え方について見ておきたいと思います。
遺言は、広く使われるためには簡単に作成できることが必要です。しかし、あまり簡単に作成できてしまうと、遺言を残す本人以外の者の意思が入ってきたり、偽造や変造されたりという危険があります。
議論の過程では、たとえばワープロソフトで遺言を作成しプリントアウトしたものを遺言としたいという要望が述べられことがありました。また、PCやスマートフォンで、テキストファイルで遺言を作成できれば、簡単なことは間違いありません。
しかし、ワープロソフトで作成したものをプリントアウトしたものに署名押印だけをすればいいことにすると、たとえば高齢の親に対して子のひとりが自身に有利な遺言を作成し署名を求めるようなことがありえます。また、PCやスマートフォンのファイルを遺言とする場合、第三者が遺言そのものを作成できてしまうおそれがあります。
初めに述べたとおり、遺言は、効力が生じるのが遺言作成者の死後であるため、自身の意思に反した遺言を作成することになってしまったり、第三者に遺言を偽造されたりしても、亡くなった本人がそれを訂正することができません。
ですので、遺言は利用しやすいことが望まれる一方で、一定の厳格さとのバランスが常に問題になるといえます。法制審部会の中間試案で提案された4案もたとえば、甲1案は二人以上の証人というのは現実的には大変なところもあろうと思われますが、真意性、真正性の確保とのバランスを考慮してこのような案が提案されるにいたったところです。
ただし、デジタル技術を活用した新たな遺言の方式が創設されても、現行の公正証書遺言、自筆証書遺言については存続します。この点からは、新たに創設される方式が自筆証書遺言に比べてさらに厳格な制度になってしまうと、利用されにくいのではないかという点も考慮すべきところかと考えられます。
執行場面での使いやすさ~動画での遺言
執行場面での使いやすさ議論の過程では、執行の場面での使いやすさについても問題になりました。たとえば、動画で遺言を残したいという希望は以前から言われることがあり、法制審部会においても議論されたところです。
しかし、遺言が動画で作成され、それが1時間だったとすると、銀行窓口の相続手続や法務局における登記の手続で、その1時間の動画を全部見なくてはいけないという問題が生じます。このため、動画による遺言は中間試案には採用されませんでした。
また、近年「ディープ・フェイク」のような技術も現れているところですので、この点からも動画の信頼性には一定の問題があることも考慮されるべきだと思われます。
自筆証書遺言と押印
続いて、現行の方式である自筆証書遺言の押印要件の議論も概観しておきます。自筆証書遺言に押印がないために無効になってしまうという例は一定数みられます。しかし、裁判所はこの点は厳格にとらえています。
有名な事件ですが、遺言を作成し署名した下に「花押」という伝統的なサインを付した遺言について、最高裁は遺言としては無効であると判断しました(最判平成28年6月3日民集70巻5号1263頁)。最高裁は、我が国では重要な文書は作成者が署名した上で押印することによって文書の作成を完結させるという慣行または法意識があるとして、押印の有無によって遺言が完成版なのか下書きなのかが区別されるとしたのでした。
たしかに、自筆証書遺言に押印が不要ということになると、たとえばですが、「○月○日長男に遺産を全て残すことに決めた」という日記の文言(日記には署名があるとします。)や自筆の手紙があったときに遺言かどうかの区別が難しくなることも考えられそうです。
他方で、行政機関等における近年の急速な押印廃止の状況もあり法制審部会の中間試案では自筆証書遺言の押印を不要とする案と必要なままとする案の両方が併記されています。
制度に加え文化の側面も
遺言があることの一番大きな意味は、遺産分割が不要になることだと考えます。遺産分割は遺産の評価、特別受益、寄与分をめぐってこれまでの家族関係におけるさまざまな思いが交錯し、紛争を招きやすいところがあると思われるからです。
また面倒であることから遺産分割がなされないまま長期間が経過し、遺産分割がなされないまま相続が複数回起きることとなり、所有者不明土地の問題が生じたりもしています。
遺言は生前に作成するものであるため、清算型のものを除けば遺産分割が不要になる完全に公平な遺言を作成するのは困難ですが、それでも、遺言があること自体に大きな意味があると考えています。
ここで最初の問いに戻りますが、我が国ではなぜ遺言があまり書かれないのでしょうか。自筆証書遺言書保管制度が施行された時に一般の方向けの自筆遺言の解説書を書いたことがあるのですが、同書に収録した元裁判官で相続法の研究者でもある松原正明先生との対談において、先生は、
「日本でも江戸時代は盛んに遺言がなされたといわれています。必ずしも文書による遺言ではなかったようですが。ところが、明治になってから、民法が制定されて、原則として、単独相続である家督相続が採用されたことが理由のひとつではないかと思います」
と言われていました。遺言のような法制度の普及については使いやすさの要素もありますが、他方で、文化的な要素、慣習といったものも影響するところが大きくあります。
デジタル技術を活用した新たな遺言の方式としてどのような制度が創設されるかの法制審部会の調査、検討と議論は実務的、理論的な観点からも興味深く、また実務家にとっては今後の自身の実務にも影響が大きいところと思います。
それに加えて、遺言の文化的な要素や慣習についても考慮した上で遺言の普及をはかっていくことが大切ではないかと考えます。
当社は、コンテンツ(第三者から提供されたものも含む。)の正確性・安全性等につきましては細心の注意を払っておりますが、コンテンツに関していかなる保証もするものではありません。当サイトの利用によって何らかの損害が発生した場合でも、かかる損害については一切の責任を負いません。利用にあたっては、利用者自身の責任において行ってください。
詳細はこちら