同志社大学卒業後、父の事務所に入所。東京の事務所を経て、1998年に京都で独立開業。その後東京に移転し、歯科専門として、多くの歯科医院開業を手掛けている。
「旅好き税理士」として、世界各地を旅している森川先生。歯科専門税理士となった経緯などについてお伺いしました。
きっかけは、親が税理士だったというのが一番大きいですね。中学、高校ぐらいから、将来的に税理士になるかはわからないけれど、少なくとも税理士の資格は取りたい、いやどちらかというと親への反骨心で取らなければというような感覚でした。それで大学入ってから簿記の勉強を始めたんですが、全然おもしろくなくて、俺これやるの?ってクラっとしましたね笑。
大学卒業して、まわりの友人が働き始めるとさすがに焦り始めて、アルバイトをしながら真剣に勉強をやり始めました。卒業後1,2年して、確か3科目ぐらい受かって、26歳ぐらいのときに全科目取れましたね。
ちなみに卒業して数年後くらいから京都の父親の事務所で働き始めたんですが、バブル崩壊の頃だったので、毎月顧問先が減っていくんですよ。なので私も不安になって、父にどうやってお客さんを増やすのか尋ねても、営業なんかしたことがないし、不景気が終わればまたそのうち増えるんじゃないかって楽観的に言うんです。私はそうは思わなかったので、営業のノウハウを学びたいって言ったら大げんかです。そんな経緯があり、父の事務所を出て東京の大手の税理士法人で学ぶことになりました。
1年目は法人がメインで、2年目ぐらいから医療の割合が増え、顧客に相続が発生したら資産税もやるしと、一通り経験させてもらいましたね。父の事務所とでは、お客さんの規模はもちろん違いますが、一番驚いたのは銀行の方との関係性です。父は担当者だけでなく支店長にも偉そうに話していたんですよ笑。ですが、その事務所では、お仕事いただいて本当にありがとうございますということで、銀行の方にすごく腰低く接するんですよ。
当時、所長先生から言われたのは、税理士とか会計士だからって偉いと思うな、大して偉くもないし、そんな大した能力があるわけじゃないから、そう思ってお客さんには頭を下げろと、お辞儀の仕方まで指導されました。正直最初は少し違和感を感じましたが、少し経つと人から仕事をもらうにはそうじゃないとダメだなと思うようになりました。何か具体的に営業の仕方を学んだというのはないんですけど、そういう「姿勢」をすごく学べましたね。
東京の事務所で3年ほど働いた頃、父が癌になったことがきっかけで京都に戻り独立することになりました。最初は東京の事務所からの提携のほか、父の事務所からも給料をもらってお客さんを見ていたんですけど、そのうち払えなくなるから、2年以内に自分なりにお客を作っていかないといけないぞと言われまして。そこで初めて自分で営業というか、顧問先を探しはじめました。
ただ戦略もなにもなく、顧問探してませんか?というようなアプローチだったからか詐欺の片棒を担がせるような依頼を頂戴したりとか、ドクターがあつまる企画会議があるので参加しないかと言われ終日拘束されるもののありがとうで終わる話だったりとか、なかなかうまくいかなかったですね。
ただ、33,4歳のときに東京で講演した歯科医院とのセミナーが割と反応が良くて、年4回ほどセミナーするようになったんです。出席者もだんだん増え、はじめは30人くらいの参加者だったのが、120~150人くらい参加するようになり、そのうち10%くらいが顧問になり、それを10年ほど続けたので100件ぐらい増えました。
当時はおそらく歯科開業セミナーがあまり無かったから珍しかったんでしょうね。セミナーを始めてから3年ぐらいは、京都に住んでいながら月の半分は東京にいたので単身赴任みたいな感じでしたが、36歳くらいの時に家族で引っ越して、事務所も移転しました。東京に来てからは歯科専門でやっています。
開業関係の相談が多いので、どこで開業したらよいのかということを、通り一辺倒の話ではなく、その方の生活観やライフスタイル、家族のことを踏まえてアドバイスするように心がけています。特に、配偶者のご意見が最終判断に及ぼす影響が非常に大きいことがわかってきたので、実家との距離だったり、ゆかりの地かどうかだったり、配偶者に関するヒアリングは重要視しています。
場所ももちろん重要ですね。みなさん初めは東京だと23区の割と中心で開業したいとおっしゃるんですが、家賃が数年前の1.5~2倍くらいに上がっているので、親や自身が土地を持っているとかでは無い限りは、はっきりやめたほうがいいですよ、とお伝えしています。機材なんかの価格も上がってますしね。
小6とか中1ぐらいから旅行が好きで、親戚が京都から埼玉に行くときに付いていったり、中3の春休みにはじめて一人で電車で四国1周したりしたことが由来ですかね。多分今だとダメでしょうけど、桂浜で野宿することになり、サバイバル情報で得た、新聞紙を体に巻きつけたら暖かいというのを試したりもしました。高1のときには、北海道で確か20日間くらい一人で旅していました。わりと放任な家庭だったので、家族からは特に心配もされずでしたね笑。
今でも、年に3~6回ぐらい1週間ほどの旅行に行っています。ちょうど今年は8月に1か月ほどフィリピンとバリ島に行ってきました。顧問料の値上げを考えていたのですが、その代わりに8月の面談をなくしてもらう形で調整しまして。語学学校もいけましたし、すごくリフレッシュできました。まだまだ身体が元気なうちに動ければなと思っていまして、いまは来年か再来年に世界1周旅行するというのが目標です!